社会人なのに仕事がしたい



晴れて社会人に復帰した。

希望していた業界だし、今度は事務だ。

やったぜ!

めでたしめでたし。



そんな甘い展開はやっぱりなかった。

そりゃあそうだよな。


あたしの教育係には父親より年上の人がなったんだけど、そのおじちゃんも実はこの場所に配属されて一年も経っていないのだそうだ。

そんな人に教育なんて任せるんじゃねーよ。

責任者を呼んでこい。


こんなことが言いたかったのではない。

本題はこっちだ。


おじちゃん、一週間で早くもあたしの相手をするのに飽きてしまったようで、放置されるようになってしまった。

静かなる大事件である。


一緒に入社した中途採用の社員はもうかなりバリバリ仕事をこなしているのに、わたしは彼の前の席で暇に押しつぶされてノートに落書きしている。

このノートというのは教わったことをまとめ直して書いたもので、そんなものをわざわざ作っている時点でかなり暇を持て余していることがお分かりいただけると思う。

そんなノートも、ページの並び順まで暗記するぐらい読み返し続けている。

何故か。

暇だからだ。


名誉のために断っておくと、あたしはおじちゃんに何度も「お手伝いできることはありませんか?」と声をかけている。

決して、仕事を与えられないからふてくされて待ちの姿勢に入っているのではない。


それなのにノートに書き連ねられるのは落書きばかりだ。

何故か。

暇だからだ。


会社に行くのが憂鬱になってきた。

何故か。

暇だからだ。


暇だからだよ!!!!!!!!!!!


それは、無職になった時、一日中これといってすべきこともなく、ただ遅い時間に起きて、ヒルナンデスとか見て、そのまま興味のない通販番組とか、クソつまんない古い映画を見たりとかしていた時と全く同じ感情だ。

やることがなくて、身体がぽつんと時間に取り残されて、不安の海であてもなく漂流する感じ。

行き先も分からないし、全てはただぼんやりしていて、気づくと毎日もう夕方になっている。


あたしは無職の時、その感覚がすごくすごく嫌で、毎日のように畳に大の字に寝転がって「働きてえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と心の中で叫んでいた。


努力とめぐり合いのかいがあって、今の会社に就職することができて、一週間経った。


それなのに、ばりばり働く沢山の大人に囲まれて、パソコンのキータッチの音とか、電話に応答する声とか、張り詰めた緊張感とか、そういうものを肌で感じながら、いまあの時と同じことを思っている。


働きたい。


何かの役に立ちたい。


どうしてだろう。

なんだか悲しくて涙が出そうだ。